一覧はこちら

コラム

対話性のこと

星野俊弥(北里大学)、精神科医、評議員

僕は対人的な仕事をするにあたり「対話性」を大切にしたいと思っています。フィンランドの西ラップランドで生まれた、対話の実践の一つであるオープンダイアローグの理論的主導者であるヤーコ・セイックラと、同じくフィンランドの別の場所で未来語りダイアローグを開発したトム・アーンキルは、共著書『Open Dialogues and Anticipations』で「対話性」のことを述べています。

彼らは、「対話性」とは、技法のことではなく、ある種の立場や態度、あるいは人間関係のあり方を指す言葉で、他者を変えてやろうといった下心抜きの、開かれた、打てば響くようなやりとりのこと、であると言います。

医療者というのは、難しい仕事だといつも思います。医療の現場において、医療者は、医療を利用する人よりも、明らかに医療に関する知識が多いです。困っている人と会い、その人の助けになる何かしらを自分が知っている時、自分の持っている知識や、技法をすぐさま用いたくなります。

でも、自分が医療の利用者となる時に感じるのは、薬にしてもリハビリにしてもとてもありがたいことだけれど、それをどのような気持ちで渡してくれようとしているのかによって、その医療者や、医療者が渡してくれる何かしらへの信頼は大きく変わるということです。

僕の実体験ですが、1年ほど前に皮膚のトラブルがあり皮膚科を受診した際、医師は僕が困っていることを話してもほとんど聞いてくれず、説明もなく看護師に指示を出し、頼んでいないのに軟膏を塗られ帰されたことがありました。口コミも良かったのになぜ……、と憤りながら帰りましたが、その後皮膚のトラブルは改善しました。

治ったのだからありがたいけど、なんだか釈然としない気持ちが残り、その残った気持ちを今ここで書いています。このようなことは、対人的な取り組みの中で実は多く生じている気がします。医療者からすれば、目まぐるしく続く仕事の一場面で、治ればよいではないかと考えるかもしれませんが、利用する人にとっては大切な自分の時間です。専門家が自分の困りごとに対してどう考えているのかを知りたいし、気軽に誰にでも話せる困りごとでもないから、それを話す時間自体も少しはほしいと思うのが自然ではないでしょうか。

僕は対人的な仕事をするにあたり、自分がその人に対して専門家として何ができるのか、の前に、その人の大事な話をきかせていただき、何を感じ、考えたかということを、人として、まさに打てば響くように応答することを心がけていきたいです。セイックラやアーンキルが、その活動において参考にし続けてきたロシアの哲学者ミハイル・バフチンは「応答がないこと以上に恐ろしいことはない」と言っています。

僕は興味が様々な方面に拡散する傾向があるようで、何を話題にするか迷いましたが、今回は自分が実践や研鑽に力を入れている「対話」に関連することについて書きました。

ありがとうございました。