一覧はこちら

コラム

戦後80年に戦争神経症について考える

今年は戦後80年にあたり、メディアでも戦争の話題がしばしば取り上げられた。「ルポ戦争トラウマ」などの本も出版され、信田さよ子氏らが家庭内暴力の加害者に戦争によるPTSD症状が珍しくなかったこと等を報告されている。俳優武田鉄矢氏の父も暴言や深酒が日常的だったという。氏が「海援隊」時代の「母に捧げるバラード」に「働け、休みたいとか思ったら死ね、それが男。」のような母のセリフがあったが、家庭内の状況が反映した歌詞だったのだろうか。

本学会誌第25巻2号(2016)には、「戦争体験と精神医学 戦後70年目の社会精神医学的検証」特集があるが、そこで黒木俊秀先生にご執筆いただいた「桜井図南男と戦争神経症」の桜井は私の祖父である。陸軍国府台病院の精神科医であった。兵士の自殺を分析した論文は既に読んでいたが、戦争神経症に関する6篇は未読であった。今年、書物の整理中に偶然、別刷を発見したので読んでみた。武田氏の父のような方々の苦しみが精神医学的にどう表現されているかとある意味期待して読み始めた面があるのだが、意外なことに、論文は非常に冷静、科学的なものだった。戦前の鉄道外傷後の症状等と本質的に変わりはないが、戦争で数は増えたというような記述で、特に戦争が人々を苦しめたという論調ではなかった。PTSDの方々やそのご家族は、除隊後の戦後の生活の中で苦しまれたが、戦争の最中、軍の精神科医は「戦地での身体外傷後の回復が遅いのはヒステリーなのか」というような点を見ていた。特集の目黒克己先生の論文に精神分裂病という分類が一番多いことが記されているが、PTSDのフラッシュバック症状を精神病と分類していた可能性も指摘されているようだ。当時は精神医学にPTSDという概念がなく、戦後も「大変なことがあればそれくらいは」という「ノーマライズ」のために社会的にも問題視されずに来たのだろう。もちろん神経症からの回復も重要で、祖父の論文に、治療により、前線ではなく郷里に帰った人々の記載が複数あるのは救いであった。今後も精神病理学的な全貌は検証されるべきだろう。

この夏は、東京のしょうけい館(戦病傷者資料館)でも心の傷を負った兵士に関する企画展があり、軍の焼却命令がある中、医師たちがカルテを残したことなどが示されていた。図書室で私は祖父の筆跡のカルテのコピーを見ることができた。直接このテーマの話についてはあまり話したことがないのだが、軍が隠蔽したかった精神症状を7篇の論文に残してくれたのは有難く、戦前の精神医学体系を理解して、また読み直さなければと思っている。

文献)
後藤遼太、大久保真紀:ルポ 戦争トラウマ. 朝日新書,朝日新聞出版,2025
黒木俊秀:桜井図南男と戦争神経症.日本社会精神医学会誌25:157-163,2016