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コラム

「社会モデル」と批評的視

斎藤 環(つくばダイアローグハウス)、精神科医、評議員

私は30年以上、ひきこもりを専門としてきた。自身の経歴を振り返ったとき、ひきこもりについて、“精神医学的”な貢献はあまりしてこなかったとの思いがある。最初期の著作『社会的ひきこもり 終わらない思春期』(PHP新書)は幸い広く読まれたが、この本で私はひきこもる個人の精神医学的な診断をあえて行わなかった。むしろ「精神疾患との診断がつけられないにもかかわらず、長期に渡ってひきこもる人」を中核に据えた。対応も治療というよりは家族介入などのケースワークに主眼を置いた。そのためかどうか「社会学的すぎる」との批判も受けてきたが、結果的に、これはそれほど悪くない判断だったと考えている。

厚生労働省は、2025年1月31日、ひきこもり状態にある人やその家族に関わる支援者向けのハンドブック「ひきこもり支援ハンドブック~寄り添うための羅針盤~」https://www.mhlw.go.jp/content/12000000/001471237.pdfを自治体に通知した。私は検討委員会委員の一人として、本書の作成に関わっていた。

このハンドブックの内容は、控え目に言っても画期的なものだった。従来用いられてきた「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」が採用していた「医療モデル」から距離を取り、大幅に「社会モデル」に向けて舵を切ったのである。

「医療モデル」では、ひきこもりの原因を個人の問題ととらえる。すなわち、発達障害や精神障害、パーソナリティ障害と言った個人の病理がひきこもりを引き起こすと考える。このモデルでは、当事者は「患者」として、専門家が診断し治療する対象となる。いっぽう「社会モデル」では、ひきこもりの原因を社会や環境の側に求める。当事者をとりまく社会の文化や制度、人間関係、とりわけ家族関係を重視するような考え方である。それゆえ支援策も、本人の治療より、環境調整が中心となる。家族相談による家族との関係修復、居場所などを通じてのネットワーク(人間関係)の再構築が重視され、当事者を「尊厳ある主体」として尊重しつつ、寄り添いながら一緒に考える支援が中心となる。だから、社会モデルの視点から見るひきこもりとは「困難な状況にあるまともな人」ということになる。

「医療モデル」と「社会モデル」は対立するものではなく、互いに補完しあう関係にある。「社会モデル」の提唱者、マイケル・オリバーは「障害の社会モデルは理論やアイディア、概念ではなく、実用的なツールである(拙訳)」(Barnes編  Implementing the Social Model of Disability 所収 Oliver論文より。元は1996年の論考)と述べている。

社会モデルを採用したハンドブックは、支援の方向として「就労」や「社会適応」を掲げていない。目指すべきは「自律に向かうプロセス」とされる。自律とは簡単に言えば「自分自身の声に耳を傾けること」を意味する。これは決して「就労」や「適応」を軽んずるものではない。それらが必然的に「自律」の後についてくることがわかっているからだ。

こうした「社会モデル」の発想は、近年、ひきこもりに限らず、自殺対策、認知症支援、発達障害支援など、複数の領域に取り入れられつつある。残念ながら本学会では、このテーマが大きく取り上げられる機会は多くはなかったようだが、「医療モデル」と「社会モデル」の関係性は、今後ますます重要な課題になっていくであろう。

私からの提言としては、「医療モデル」と「社会モデル」が補完しあう場合に、それぞれを「有用なツール」として批評的に用いることを期待したい。「批評」とは、理論として絶対視するのではなく、現場における有用性をその都度判断しつつ用いるという意味である。たとえば「発達障害」概念はひきこもり支援でも役に立つ場合がある。しかしそれを絶対視すると、多くのひきこもりが発達障害的に見えてしまうという弊害が生ずる。その概念をどのように使うことが当事者の「自律」に役立つか。たとえばこのような視点から精神医学に対する批評的な視座を確保すること。私にはそれこそが、現代における「社会精神医学」の使命であるように思われてならない。