コラム
メンタルヘルスにおける笑いと音楽の効用
市来真彦(東京医科大学)、精神科医、副理事長(事務局長)
今は亡き両親に連れられて初めて近所の大学祭とやらに行ったのは齢三歳の時、「お前は二箇所で動かなくなってしまったのだよ」と良く聞かされたものでした。私が動かなくなった一箇所目は、当時高校の教員をしていた父にとって取り締まる衣装に身を包み、母の大嫌いな大音量を奏でる集団であるロックバンドの前、両親の必死の思いで私は引き剥がされたとのことでした。私が動かなくなったのは落研による落語の前、帰宅後に私は畳んで置いてあった洗濯物の中から手拭いを引っ張り出し、箪笥の引出しを階段のように引っ張り出してからよじ上って一番上の引き出しに仕舞っていた母の扇子引っ張り出し、押入から座布団を3つ引っ張り出し、その二枚に両親を座らせ、自分は一枚に座り、「毎度バカバカしいお話を〜」と言いながら落語の真似事を始め、扇子の開け方を知らなかった私は前後に押して開かずに、左右に引っ張ってしまったために、親骨を折ってしまったのでした。母が大切にしていたその扇子はその後も我が家の箪笥の引出しに長きにわたって仕舞われており、その扇子を見るたびに、「これから何が始まるのだろう?」と楽しみにしていた母の顔が落胆に変わった時のことを思い出しては申し訳ない気持ちになったのでした。文字どおり三つ子の魂、その後の私は音楽と笑いを愛してすくすくと成長し、部活動では金管楽器を奏で声楽を学び、帰宅後はテレビのお笑い番組を見ては研究を重ねて参りました。
さて予備校生時代も定期テストを抜け出しては演芸場に通いながらスポーツ整形外科医を目指して医学部に入学した私は学部六年生の時に十年にわたり目指したその道を断念、恩師の強い勧めによって精神医学への道が開かれてゆくことになったのでした。
笑いの方は卒業後間も無く「日本笑い学会」なる学会が発足したことを耳にして早速入会、音楽の方は精神科医の修行初期にデイケアで始めた音楽療法を研究しようと日本音楽療法学会の前身の一つである日本バイオミュージック研究会に入会、紆余曲折、試行錯誤、二転三転、悪戦苦闘、多事多難を経て今日に至っていること私、今日はその中で笑いについてお話ししようと思います。
我が国の三代話芸、講談であれば引き事、落語であれば言えば話のマクラに当たるこの部分でありますが、浪曲であれば「ちょうど時間となりました」、ならぬ「ちょうど字数となりました」、本編は「メンタルヘルスにおける笑いの効用」にてお話しさせていただきます。
(メンタルヘルスにおける笑いの効用 に続く)